2020年11月29日日曜日

羅小黒戦記

字幕版の時から気になってたけどタイミングが合わなくて見れずにいたものがCV櫻井を引っ提げて吹替版としてやってきたしそこかしこから感じる目配せがすごかったので、ステイホームを決め込んでいた体を自転車に乗せてえっちらおっちら見に行った。もう引っ越そうという直前に意外とここまで自転車で来れるんだな……ということに気付いてしまいもっと早く気付いていれば色々見られたのでは……と思ったのであった。4DX版を見ましたよ。背中をボコボコ叩かれてなかなか気持ちよかったです。

わたしは「地球くらい大きなキャンバスじゃないと描ききれないくらいだと本人が言う夢は他人からはささやかに見えるほどの夢で、そしてそれは叶わない」という物語に脆弱性があって(なるたるだ)その夢が「帰る場所がほしい」「故郷に帰りたい」「大切なひとといたい」みたいなものだともう本当にだめだし、それはそれとして人間を滅ぼしたいとか復讐したいとか世界を壊したいとか更地にしたいとかそういう行動を取るキャラクターをめちゃくちゃ応援してしまうのでま〜本当にだめだった めちゃくちゃに傷ついて帰ってきた。泣く泣くと聞いていてよーし泣くぞ!と思って見に行ったけど涙は一滴も出なかった。めちゃくちゃに傷付いたしやるせなかったし寂しくて仕方なかった。

あんまり感想も書きたくないと思ったんだけど残しておくのは大事だなとこのブログを始めてからしみじみ思うので書いておく。読み返さないし推敲もしないのでめちゃくちゃだと思うし矛盾しまくるかもしれないけどそういうのを残しておくのもたまには必要かと思う。

シャオヘイが愛おしすぎるとかムゲンかわい〜とかあるんだけどどうしてこうなっちゃったんだ、で頭がいっぱいで何もする気が起きないし考える気も起きないんだよな。わたしは生き物すべては「帰りたい」という願望があると思ってて、何もそれは故郷だけが対象とは限らなくて、とにかくみんなどこかに帰りたいだろうと思ってるんだけど、ただそれだけの願いをフーシーはああいうことをしないと叶えられない(と思っていて…思っていたのかもわからないけど)、それどころかどこかの時点ですでにそのたったひとつのささやかな願いを見失いつつあったんだろうなと思うとも〜〜〜〜本当にだめだ でも最後にフーシーは勝ったなあ、とも思うのでそれにも心がめちゃくちゃにされてしまった。「忍の魂は渡さない」って感じはあったよな。

見かける感想の中にわりと頻繁に見た気がする「フーシーのやり方は良くなかったけど」とか「絶対許されないことだったけど」みたいな前置きにモヤモヤとしてたのが視聴したことでより鮮明に最悪じゃんそれ!と思うようになった。フーシーのやり口についてとか、じゃあどうすればよかったのかとか、何が正しかったのかとか、そういうのはあの物語の中のキャラクターたちにしかわたしは語ってほしくないし、何より人間という生き物がフーシーのやったことについて良くないだとかダメだとか許されないとか言うのが嫌で嫌で嫌で仕方ない。何様のつもりなんだ、どこから目線でそれを言えるんだ、わたしたちが奪ったのにどうしてそんなことが言えるんだ、わかんない。でもフーシーについて話すときにどうしてもそういうエクスキューズを入れなきゃいけないのはわかるのでとてもつらいし悲しいしやるせない。
でもわたしたちが言えることじゃないとわたしは思う。この先どうしていくか、はわたしたちも考えなきゃいけないとこだけども。

こういうタイプの物語で特に日本でよく見る「人外に許させる」展開が好きでもありめちゃくちゃ嫌いでもあるので(描きかた次第ではあるよな)ちょっとドキドキしてたけど全然そういうんじゃなかったのでそれはよかった。
子供というものに対して大人はどう接するべきなのか、というのがワ〜こちらではなかなかお目にかかれないやつが芯から浸透してる感じがすげ〜というのも思った

帰りたいな、どこかに帰りたいね〜。

やっぱりこれあんま書き残したくなかったなと思うんだけどせっかく書いたので残しておきます。しっちゃかめっちゃかでごめんなさいね。


映画 『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ) ぼくが選ぶ未来』 公式サイト