2019年8月12日月曜日

さらざんまい 下

いや小説版の締め良すぎないですか…

わたしは少女の頃にウテナを見ることができたのを幸いだと思っているけど当時はいまいちわかっていなかったというかただワー面白いで終わってたので(ワー面白いで終わるのがダメだということではないが)本当にイクニにガツンとやられたのってピングドラムなんだよな。それまでにウテナ見返したりなどはしていたけども
あの年代にピングドラムを受け取れたことをわたしは宝物のように嬉しく思っているんだけど、同じようにさらざんまいを受け取れるひとがいるんだろうなっていうのがいいよね。

先日twitterで「必然性なく物語中に登場するLGBT」をチェーホフの銃になぞらえて「目的もなく存在するLGBTは発砲されないライフルと同じ」だと言ったひとがいてめちゃくちゃ怒ってしまったんだけど、それだけにいまこの作品が世に出されたことが本当に嬉しいし意義のあることだなと思ったのだった
さらざんまい、男同士の恋愛感情についてなぜ男同士なのかということを全く説明しなかった。レオとマブは同性である理由は特になくカップルであったし燕太はただ一稀に恋をしていて「この恋はかなわないだろう」という理由に男同士であることはピックアップされなかった。件のような考え方をするようなひとにはさぞ居心地が悪かったのではないかと思う

物語にはものすごく強い力があって、ときに誰かの人生を大きく変えるものでもある
もっともらしく何度も何度もいろんな人の口から語られる「いま LGBTQは「ふつう」ではないのだから、物語に登場させるならそれなりの必要性がなければ一般人(???)は引っかかってしまうのだ、現実でも「ふつうに」どこにでもいると認知されるようになってから意味なく登場させればよいのだ」というの、何をばかなことを言っているんだろうなと思う 物語の力をなぜそんなに過小評価するのか?なぜ現実に先行しちゃいけないんだ びっくりするやつは勝手にびっくりしていればいいんじゃないのか
「マジョリティしか存在しない物語」はこの世に本当に本当に本当に本当にたくさんある それを均していくためには「マイノリティが活躍する」「マイノリティがそこかしこにいる」そういう物語をどんどんつくっていかなければ天秤が釣り合わない
最近の物語は息苦しい、と感じるとき、「いままでずっと息苦しい気持ちでいた人々がいる」ことを考えなきゃいけない

あとやっぱ「なんで同性同士なの??」なんて、深く考えなくても今後どんどん古びていく価値観なのでそんなもんわざわざ入れ込む必要ないんだよな 古びていくことがわかっていてそんなこと物語に入れる必要ない
物語は「いまこのときだけ」見られたり読まれたりするものではなくて数年後、十数年後にだって手に取られるものなのだから、そのとき「古いなあ」と思われるだろう価値観なんてそれこそ必要性がない限り描かなくてよいのだ

みたいなことを思いながら読みました どんなにつらくて悲しいことがあっても愛をもってつないだ手のことを離さないでいる努力をしなければならない 心をつなぐことはものすごくむずかしいことだけど、手と手はすぐにつなげるんだもんね

幾原邦彦監督新作アニメ『さらざんまい』2019年放送